<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rss
 xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
 xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
 version="2.0">
 <channel>
  <title>医療倫理を考えよう</title>
  <link>http://www.massagetherapyforhealth.info</link>
  <description>RSSに乗せる説明</description>
  <language>ja-JP</language>
  <pubDate>Sun, 26 Jul 2009 20:35:32 +0900</pubDate>
  <lastBuildDate>Sun, 26 Jul 2009 20:35:32 +0900</lastBuildDate>
  <category>美容と健康</category>
  <item>
   <title>■医療倫理雑学</title>
   <link>http://www.massagetherapyforhealth.infoartArticleContents/index/id/5</link>
<content:encoded><![CDATA[
医療倫理の雑学についてご紹介いたします。<br />
<br />
人生の終わりを自分で選べるでしょうか、終末期医療をめぐる社会の背景は複雑化しています。「人生の終末期」を取り巻く問題は、病院や診療所でも常に直面する重大な課題です。日本人の死亡原因のトップがガンに代表される悪性腫瘍になって久しくなりますが、少し前までは、患者の病気が癌だと判明しても本人には告知せず、希望を持たせるようにして、少しでも長く生きてもらうようにするのが一般的な医療でした。そのために、呼吸が苦しくなれば気管内に管を入れて生命維持時装置である人工呼吸器を装着して呼吸を補助し、心臓が止まりそうになれば心臓を補助する薬や血圧を上昇させる薬を点滴し、更に心臓マッサージを最後まで行ないました。そのようにしてでも生命を保つのが終末期の医療の常識でした。そのため、患者の身体には気管内の管や点滴のラインの管がたくさんつながり、スパゲティ症候群と呼ばれて揶揄されたこともあった程です。しかし、1990年代以降になって、そのような「がんばり続ける医療」だけではなく、治すことが不可能な進行癌などでは、患者本人に病気の状態を説明し、本人の同意を得たうえで、痛みをできるだけ少なくして楽に終末期を過ごせるような「緩和ケア」という医療も再認識されるようになったのです。患者の意向を聞くことは、患者の利益を守る事でもあり、医療倫理においても最も優先することで、本来の医療の使命のひとつだということでしょう。
]]></content:encoded>
   <category>医療倫理雑学</category>
   <pubDate>Sun, 26 Jul 2009 20:35:32 +0900</pubDate>
  </item>
  <item>
   <title>■時代と医療倫理</title>
   <link>http://www.massagetherapyforhealth.infoartArticleContents/index/id/4</link>
<content:encoded><![CDATA[
時代と医療倫理の関係を過去を振り返りながら未来について考えます。<br />
<br />
医療倫理の歴史は、基本的に欧米主体でつくられてきたものと言えます。その原点ともなる「伝統的医療倫理」とはヒポクラテスの誓いに代表されるような、伝統的な「医の倫理」のことです。その次の時代となる「バイオエシックス」とは、１９６０年代から７０年代に北米に起こった社会運動と歩調を併せることになり、従来は頑なに一般社会から隔離され続けてきた医療へアカデミックな立場から介入していったのです。この時は医学者ではなく、哲学者や神学者による主導で成立してきた倫理なアプローチのことです。バイオエシックスは「原理主義」という理論をもとに北米の医療界に「介入」しました。実際に、哲学者や神学者らが臨床の場に立って、倫理教育者として倫理を実践し、伝統的な医療倫理を完全に置き換えていったのです。その原理主義の中でも「患者の自律性尊重の原則」は医療倫理の４原則の筆頭であり、日本での医療倫理でも広く浸透していることです。更に、１９８０年頃から、クロスオーバーしますが、臨床者が次第にバイオエシックスと原理主義を学んで、採り入れられつつ、臨床の現場により即した倫理的アプローチに発展していきました。それが「臨床倫理」となるなっています。そして、１９９０年代の原理主義批判を転機に、バイオエシックスに代わって臨床倫理は医療倫理の主流な方法論として定着していくようになりました。但し、学問としてのバイオエシックスがなくなる意味ではなく、臨床での方法論として原理主義が表面上目立たなくなったという意味のようです。原理主義はこれからも常に臨床倫理の根底にあります。
]]></content:encoded>
   <category>時代と医療倫理</category>
   <pubDate>Sun, 26 Jul 2009 20:35:12 +0900</pubDate>
  </item>
  <item>
   <title>■医療倫理が問われる場面</title>
   <link>http://www.massagetherapyforhealth.infoartArticleContents/index/id/3</link>
<content:encoded><![CDATA[
医療倫理が問われる場面についてご紹介いたします。<br />
<br />
終末期医療は医療倫理が問われる場面といえます。患者が終末期の状態であるという決定は、医師を中心とする複数の専門職種の医療従事者から構成される医療チームが行います。終末期での治療の開始、中断、変更、中止などは、患者本人の意思決定を尊重優先とし、医学的な適切性を加えて医療チームによって慎重に判断しなければなりません。可能な限り、痛みやその他の苦痛となる症状を緩和し、患者と家族等の精神的援助も含めた総合的な医療及を行うことが望まれます。もちろん、積極的安楽死や自殺の幇助に類する行為はいっさい行わず、治療行為の中止を求める患者の意思表示がどの時点であるのかが重要な要件となります。更に、患者の口頭による意思表示不能、又患者の正常な判断ができないような状態では、患者の事前の文書による意思表示を確認することも非常に重要です。<br />
患者本人の事前の意思表示がない場合でも、患者の意思を推定する家族の意思表示があればよいとする意見もありますが、この場合には、家族の推定の根拠となる情報を充分得ておく必要があります。最優先は患者ですので、医師は患者の家族とよく相談して、どの方法が患者にとって最善であるかを熟考します。看病する家族側の思いも複雑な状況に置かれているので、医師は医療倫理の立場で困難な判断を行わなければならないのです。
]]></content:encoded>
   <category>医療倫理が問われる場面</category>
   <pubDate>Sun, 26 Jul 2009 20:34:52 +0900</pubDate>
  </item>
  <item>
   <title>■世界の医療倫理</title>
   <link>http://www.massagetherapyforhealth.infoartArticleContents/index/id/2</link>
<content:encoded><![CDATA[
世界の医療倫理と共通する点、日本独自の医療倫理などをご紹介します。<br />
<br />
医療の責務として、利害の抵触に適正に対処し信頼維持をしなければならない点があります。保険会社や製薬企業、医療機器の企業などの営利を目的とする企業との関係が、医療の責務に影響を与える可能性がある事を認識し、「利害の抵触」に関する情報は開示して、常に適切な行動をとらなければならないのです。これは世界的な医療における原則のひとつなのですが、日本ではこの「利害の抵触」という事が非常に軽視されています。製薬会社から資金を援助されている教授によって研究するのですから、極力、製薬会社に評価されるような結果を導きたいと考えます。こんな事の悲惨な事故として、例えば薬害エイズ等の被害が起こるのです。<br />
世界基準から見ると、日本の場合はこのあたりのルールが甘い傾向にあります。別の例ですが、現在、遺伝子治療というのが最先端だとして注目を集めています。アメリカでは約１万人が遺伝子治療の治験に参加していますが、結果として科学的に効果と安全性が証明されてはいません。しかし、利益獲得を目指して遺伝子治療の研究者が自ら出資して企業をつくり、その企業の特許に絡んだ治療を集中して研究しています。当然、利害の抵触を無視した臨床研究を実施し、患者さんが亡くなったりしています。これは悪いケースですが、日本でもさっそくマネをしています。ある大学の教師がベンチャービジネス会社をつくって遺伝子治療の臨床実験を実施していますが、会社をつくって特許を取るのは自由としても、臨床治験は利害関係を持たない第三者に委任しなければ、公平な研究結果となり難いのが現実でしょう。
]]></content:encoded>
   <category>世界の医療倫理</category>
   <pubDate>Sun, 26 Jul 2009 20:34:34 +0900</pubDate>
  </item>
  <item>
   <title>■医療倫理の概念</title>
   <link>http://www.massagetherapyforhealth.infoartArticleContents/index/id/1</link>
<content:encoded><![CDATA[
医療倫理の概念についてご紹介いたします。<br />
<br />
医療倫理の原則には、患者の自律性と自己決定権を尊重する事、患者に害をなしてはならない事、社会の正義概念から外れたような医療をしてはいけないという事などがあります。これに患者の利益の追求をする事、を加えて「医療倫理の４原則」と呼ばれています。この４原則は医師や病院の社会的な責任を強調していますが、これを正しく認識して社会にどう行き渡らせるかが重要なのです。ややもすると、日本の医療制度というのは収益性の改革に終始している傾向に陥ります。診療報酬引下げや、患者自己負担分の増加など、誰がどれだけ支払うのかというような計算ばかりに論点が置かれ、どうして患者の自律性と自己決定権を尊重する医療制度の改革ができるというのでしょうか。日本の医療が良くないと言われている原因として、株式会社での病院経営が実施されていない点が見識者の間では議論されています。患者の自律性を守るという大原則が、医師に充分教育されていません。最低限のルールなはずなのに医師がそれを無視し、それが横行していても誰にもそれを止められない。このような医療制度の中で、正しく医療倫理が浸透しているとは考えにくいことです。医療倫理の原則は、誰がみても正しい医療の考え方だと言えますが、難しいケースもあります。それは、患者の宗教の問題で輸血できない患者に、患者の意志とは異なる輸血を実施して治療するなどの場合です。こういう場合、社会的にどちらの原則を優先するか医療倫理の難しい問題で、どうバランスをとるのか判断が難しいのです。
]]></content:encoded>
   <category>医療倫理の概念</category>
   <pubDate>Sun, 26 Jul 2009 20:34:11 +0900</pubDate>
  </item>
 </channel>
</rss>
